文:石田亜矢子
― まずはプロレスを好きになったきっかけから教えてください。
ヒヨリ:趣味で漫画を描いていた時にバトルシーンが描きたくて、実際に生で戦っている人を見たら参考になるかなと思って東京女子プロレスさんを観に行ったのがきっかけでした。最初は団体名に“女子プロレス”って付いてるから女性がいっぱい出るんだろうな~ぐらいで、ルールも、3カウントさえ知らない状態で行ったんですけど、目の前で同年代の方が戦っているのを見るのがなんか楽しいな~と思って、それからYouTubeで動画を見たり、会場にも通うようになって⋯…雷が落ちるみたいな急なハマり方ではなく、じんわりハマっていったという感じでした。
― そこからチョコプロを知ったきっかけは?
ヒヨリ:チョコプロの前に「誰でも女子プロレス」を知りました。当時読んでいた本で体を動かすと脳に良いっていうのを知って、筋肉とかもちょうど老化を感じ始めた時期だったし、将来のために今のうちから何か体を動かす系の習い事を始めて運動習慣をつけておきたいなと思って、最近プロレスを観てるからプロレス教室なんていいんじゃないかなって、通える距離で、学生でも大丈夫なプロレス教室を探したら「誰でも女子プロレス」を見つけて、勇気を出してLINEしました。
― 実際に練習に参加してみてどうでしたか?
ヒヨリ:急に初めましての方とロックアップで顔が至近距離になるのが目も合わせられないぐらい恥ずかしかったのと、ドロップキックの時に声を出せとか言われても、そんなに大きな声を出さないまま20年以上生きてきたので、私の能力の限界値はここなんだというのをありありと感じました。でも、苦手意識はあったけどそれと同時に払拭したい気持ちもあったし、将来のためにも運動はしておきたいと思って、楽しいのもありましたけど、結構意地になって通ってました(笑)。

新宿FACEでさくらえみと撮影したツーショット
ただ私は下調べをせずに行く癖があって、メイさんの試合は拝見したことがあったので、駿河メイさんというプロレスラーの方が教えてくれるんだなというのは分かったのですが、LINEの返信をくれる“さくら”という人は誰なんだろう? という状態で通い始めて、最初はずっとコーチだと思ってました(笑)。
さくらさんがプロレスラーだということを知ったのはダレジョに通い始めて3カ月ぐらい経ってからで、我闘雲舞の試合を観たのは、さくらさんが3WAYでシングルのベルトの防衛戦をした時(2024年1月10日 新宿FACE)に、ダレジョで教えてくださっているさくらさんがメインなら観に行こうかなって思ったのが最初で、その時は我闘雲舞が団体名だということも知らなかったし、まだチョコプロの存在も知らなかったんです。
それで、その次に観に行った「ゴーゴー!グリーンカレーコップンカップ」(2024年2月12日 板橋グリーンホール)で、帯広食堂総本店さんの試合の時に帯広さんがものすごく元気に入場されてきて、ドラも鳴ってるし、こんなに年上の方が楽しそうに⋯⋯その時はプロレスをしているというより、楽しそうに生きてるなって感じがして。当時は就活のことだったり、大学を出てどうするんだろう? 今は20代だけど30代、40代ってなった時に私ってどういう風になるんだろう? みたいなことを考えて色々不安だったんですけど、帯広さんの入場で一気に心をつかまれて、全部吹っ飛んだというか、吹っ切れたというか、元気をいただいて、それがきっかけで、帯広さんが所属されている団体はどこなんだろう? って調べたら、さくらさんも帯広さんもメイさんも同じ団体だって全部繋がって、やっとチョコプロにたどり着きました(笑)
― その後、練習生になってデビューまでの期間はどうでしたか?
ヒヨリ:同期がいたので心細さとかはなかったです。私がダレジョに通い始めたときにノノカさんがデビュー直前で、エリーさんは、ダレジョには私の方が先に通っていたんですけど先に練習生になられてたので、エリーさんには負けたくないという気持ちもありました。そもそも私はそんなに運動が得意ではないし、ついていけてなかったんですけど、それはあくまで伸びしろで、まだまだ私はこれからいくらでも成長するし、毎日練習に出て頑張ればもっとできるって、結構ポジティブな感じで思ってました。
― デビュー戦の印象は?
ヒヨリ:結構シャイで、小学校の日直で緊張して声が出せないようなタイプだったので、そんな私が360度見られているというのが最初はすごく恥ずかしくてエリーさんばっかり見てました(笑)。でもだんだんダレジョの皆さんが客席でペンライトを振って応援してくれているのが見えたり、エキシビションの時から応援してくださっている方のお顔が見えたりして、いきなりのデビューではなく、ちゃんと積み重ねがあってのデビューをさせていただけたなと思ったのが印象に残っています。ただ(試合開始の)ゴングが鳴ったらもう目の前のことで精一杯で、体感1分、2分ぐらいで(試合終了の)ゴングが鳴って「もう終わっちゃった!」みたいな感じでした(笑)。あと昔の自分を見るのが結構好きなので、「これができてなかったから次のチョコプロではここを直したいな」とか、(デビュー戦の映像は)最初の教科書みたいな感じで何度も見返しました。
― 1年間で印象に残っている試合ベスト3は?
ヒヨリ:1番はやっぱりノノカさんとの最初で最後のシングルマッチ(2025年5月4日 市ヶ谷チョコレート広場)です。デビュー戦の時も対角で戦わせていただいて、同い年で、タッグも組ませていただいて2人でベルトにも挑戦させていただいたので、ノノカさんが休業ってなった時に、谷綿ヒヨリの物語の中で、ここで勝たなかったらその先ないんじゃないかな、ノノカさんに勝つこと以上のことはないんじゃないかなって、絶対に勝ちたいと思ったし、私がここでノノカさんを待つ理由に今もなっている試合かなって思います。

2番目は、デビュー1周年記念大会(2025年5月25日市ヶ谷チョコレート広場)でやらせていただいたメイさんとの初シングルです。メイさんがデビュー〇年目という時に私は大学〇年生みたいなリンクする部分があって、私はプロレスに出会ったのが結構遅かったんですけど、全然違う道を選んでいたメイさんと私がチョコプロで、しかも私の1周年の時にシングルで当たれたっていうのが、別々の道が1つに重なった瞬間みたいな感じがしてすごく嬉しかったし、谷綿ヒヨリの全力を出せた試合だったかなって思います。
3つ目はやっぱり(2024年8月31日)後楽園大会です。初めて我闘雲舞の大会を観たのが「後楽園大会をやります!」って発表があった時期で、その時はつゆにもデビューするなんて思っていなかったんですけど、そこから練習生になってデビュー3カ月で後楽園大会だったので、間に合って良かったなって思うし、ポスターなどのデザインにも関わらせていただけたし、後楽園のリングでたくさんのお客さんを前にして、半年ちょっとの期間でこんなに人生って変わっちゃうんだって感じた1日でした。
― デザインのお話があったときはどう思いましたか?
ヒヨリ:実は、ちょっとしたたかではあるんですけど、最初からプロレスラーにもなりたいしプロレスのデザインにも関わりたいなって気持ちがあって、練習生の時から「私デザインできます!」みたいなお話はしてたんです。なので、最初にお願いされたデザインが後楽園大会の、しかもメインビジュアルだったのですごく嬉しかったです。

2024年に行われた我闘雲舞8年ぶりの後楽園大会のポスター
― それでは最後に2年目の豊富を聞かせてください。
ヒヨリ:やっぱり一番は勝てるレスラーになりたいです!それと、今はヒヨリが「ハイ!」って手を挙げてタッグを組ませていただいたりしている状態なんですけど、向こうから「ヒヨリ組もうよ!」って言っていただけるような、信頼がある選手になりたいって思います。
あと後輩が増えて欲しいなっていうのもあって、今はやっぱり後輩の谷綿ヒヨリしかなかなか見せられていないと思うので、先輩としての谷綿ヒヨリもお見せできるようになりたいし、帯広さんが本当に大好きで、今のところまだタッグを組ませていただいたこともシングルマッチの機会もないんですけど、戦ったりもしたいし、いつかポップコーン・カーニバルさんみたいな感じでタッグも組みたいなって思っています。あとベルトにも挑戦したいです! シングルのベルトにも挑戦したいし、またタッグのベルトにも挑戦したいし、やりたいことがいっぱいです!